畑耕一翻訳 M・R・ジェイムズ怪談集
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ようわきに小束の書類を置いて、それに読み入っている、落ちついた男だった。だが、ひとりになると、あきらかに獣性を発する習慣らしかった。でなければ、どうしてあんなに踊れよう?隣室からの影は、たしかにそうであることを示していた。なん度となく彼の細いからだは窓を横切り、両腕は打ち振られ、痩せた足は驚くべき素早やさで蹴あげられた。彼ははだしらしかった。そして床ゆ板はよく敷かれている筈だった。なぜなら、あんなに飛びまわるのに音一つしないからである。ホテルの寝室で、夜も十時になっているのに踊り狂っている、この弁護士アンデルス・イェンゼン氏は、なにか堂々たる歴史画の好題目のように見えた。アンダーソンは、あの「ウドルフォの神秘」のエミリー〔イギリスの女流小説家アン・ラードクリッフが一七九四年に発表した怪奇小説。アペナインの中世古城に起った妖魔の行動を描叙したもので、イギリスの少女エミリーがその犠牲的主人公。〕を思い出した。そしてこの不可思議を次の行ぎようにもじり直した。 われの旅は籠たにもどりしは、 夜も十時におよびたり、 給仕等思うわれ病むと、 そを気にかくるわれならず。 されど部屋の扉と閉じし時、 わが深靴をそとに置き、 踊り出でたり夜もすがら。 たとえ隣客そしるとも、 ご ・・・ かこたば ― 126 ―

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