新着情報

サテライト展示 浅野文庫所蔵資料紹介「学問所并北之明地共絵図」

カテゴリー:中央図書館
記事分類:イベント公開日:2024年3月12日

中央図書館の特別コレクション「浅野文庫」に所蔵している資料を紹介するサテライト展示を行います。
今回は、天明2年(1782年)から明治3年(1870年)まで、広島城三の丸東北(現在の上八丁堀、広島地方・簡易裁判所付近)にあった学問所を描いた絵図「学問所并北之明地共絵図(がくもんじょならびにきたのあけちともえず)」を紹介します。
原寸大の複製資料や、関連する図書資料を展示しますので、この機会にぜひご覧ください。

期間

令和6年3月12日(火)~5月12日(日)

  • 期間中の休館日:
    月曜日(4月29日、5月6日を除く)、3月21日(木)、3月29日(金)、4月30日(火)、5月7日(火)
  • 期間中の開館時間:
    火~金...9:00~19:00
    土・日・祝日...9:00~17:00
会場

中央図書館 2階 サテライト(北側)

展示の様子

展示の様子 展示の様子

展示内容
  1. 「学問所并北之明地共絵図」について

学問所并北之明地共絵図

「学問所并北之明地共絵図(がくもんじょならびにきたのあけちともえず)」は天明2年(1782年)から明治3年(1870年)まで、三の丸東北(現在の上八丁堀、広島高等・地方・簡易裁判所付近)にあった広島藩の藩校(はんこう)、学問所の平面図です。

藩校とは、江戸時代に各藩が設立した藩士の子弟のための教育機関で、明治4年(1871年)の廃藩置県で廃止されるまで、全国で255校設立されました。

当資料は大きさ91.8×93.5cmで、18世紀末~19世紀前期に成立したとされています。間取りや畳数等が描かれ、現存しない学問所の様子を知ることができる貴重な資料です。

「広島市立図書館貴重資料アーカイブ」で画像を公開しており、拡大して細かな書き込みを確認することや、90度回転していろいろな角度から観察することができます。この機会に、ぜひアクセスしてみてください。

  1. 学問所について

広島藩の歴代藩主は代々学問好きで、文教に力を入れました。5代藩主浅野吉長(よしなが)は享保10年(1725年)、内白島に諸芸稽古場を設け、その中に講学館(はじめ講学所)を設置しました。しかし講学館は度重なる飢饉(ききん)等で藩財政が悪化したため、経費削減のため寛保3年(1743年)に諸芸稽古場とともに廃止されました。

講学館廃止から約40年を経た天明元年(1781年)、7代藩主重晟(しげあきら)が学問所の設立を企画しました。従来からいた植田含翠(がんすい)・加藤定斎(ていさい)・金子楽山(らくざん)に加え、歩行組(かちぐみ)の増田来次(らいじ)を儒者に取り立て、民間から頼春水(らいしゅんすい)と香川南浜(なんぴん)を登用し、天明2年に学問所を開設しました。

学問所の講釈(書物の解釈や思想を説明すること)には「格式(きゃくしき)講釈」と「常(つね)の講釈」があり、格式講釈は藩主の出席が原則でした。館内は西学(のちに竹舎)、東学(のちに松舎)に分けられ、常の講釈では西学で闇斎学(あんさいがく)を、東学で朱子学(しゅしがく)と古学(こがく)を講じました。

学派偏重を避けたいという藩主重晟の意向から、学問所の教授は闇斎学派(植田・加藤・金子)、朱子学派(頼)、古学派(香川・増田)により行われましたが、次第に教育方針をめぐって朱子学派と古学派が対立するようになり、西学では闇斎学派と朱子学派、東学では古学派による講釈が行われるようになりました。

学派対立を打開するため、天明5年(1785年)、藩は学問所の教育を朱子学に統一しました。これは幕府が寛政2年(1790年)に出した異学の禁(幕府の学問所である昌平坂(しょうへいざか)学問所で朱子学以外の学問を禁じ、官吏登用も朱子学を学んだ者のみとしたこと)より5年も前のことでした。その結果、香川南浜をはじめ古学派は学問所を退職しました。

  1. 「学問所并北之明地共絵図」に描かれているもの

学問所并北之明地共絵図

学問所の建物は三の丸東北にあった二之屋敷を改修したもので、その北には空地(あきち)がありました。当資料では学問所の北の空地までを含んで描いています。

図は約9.1mmごとにヘラ書きして升目を作り、1辺を1間(けん)(約1.82m)として学問所の建物平面を精密に描いています。画像では「御休息所」の近くが比較的ヘラ書きが見えやすいです。

建物が描かれた場所には紙が切り貼りされていますが、これは学問所の改築した部分を修正したものと考えられています。

西側にある表御門から東に進むと教室(竹舎・松舎)があります。教室の北側には事務関係の諸室が描かれ、その東側には藩主が来校した際に休息した「御休息所」があります。教室の南側には講堂と聖廟(大成之間、上壇、中壇)があり、講堂は素読(そどく、意味・内容を考えることなく、ただ文字だけを音読すること)の教場として使用されたほか、藩主来校の際には藩主への講釈が行われました。

聖廟は、藩校教育の中心が儒学であることから設けられ、陰暦2月と8月の最初の丁(てい)の日に丁祭(ていさい)という孔子を祭る祭祀が行われました。

表門から北方には鉤手(かぎて)に長屋が描かれ、学問所の北にある空地には見分所があります。この空地は藩の軍備甲州流(こうしゅうりゅう)の操練をする所でしたが、文久3年(1863年)に軍制を西洋式に改革するにあたり銃隊砲術の調練場となり、同年学問所裏に建設された刀槍練習場とともに講武所(のち東講武所)と呼ばれました。

  1. 学問所を描いた絵図たち

学問所を描いた絵図として、当資料の他には以下の2図があります。

①「天明元年創設芸藩学問所之図」(以下「創設当時の図」)
『広島市史』第2巻に掲載。学問所創設当時に製作されたといわれています。
天明元年創設芸藩学問所之図
『広島市史 第2巻』(広島市/編 広島市 1922年(国立国会図書館デジタルコレクション、インターネット公開(保護期間満了)323-324コマ)
※ 画像は比較の為、上が北になるよう図を回転しています。
※ 『広島市史 第2巻』は復刻版があります(『広島市史 第2巻』(復刻版 広島市/編 名著出版 1972年))。

②「芸藩学問所文久慶応頃ノ図」(以下「文久慶応頃ノ図」)
『元凱十著』(小鷹狩元凱/著 弘洲雨屋 1930年)所収「芸藩学問所記事一片」に掲載。小鷹狩元凱(こたかりもとよし)が明治39年(1906年)に描いた図で、文久慶応は1861年~1867年のことです。
芸藩学問所文久慶応頃ノ図
『元凱十著』(小鷹狩元凱/著 弘洲雨屋 1930年(国立国会図書館デジタルコレクション、インターネット公開(保護期間満了)211コマ)
※ 画像は比較の為、上が北になるよう図を回転しています。

この2つの絵図と「学問所并北之明地共絵図」(以下「共絵図」)を比較すると様々な違いが見られますが、以下の2つに注目してみました。

  • 講堂の西にある柏舎(臨時の間の雅称)が「創設当時の図」では2部屋に分かれていますが、「共絵図」「文久慶応頃ノ図」では1部屋になっています。「共絵図」では、臨時の間は貼紙の上に描かれています。貼紙の下には薄く区切りが見え、元々2部屋だったところが改修され1部屋になったことが分かります。
  • 「創設当時の図」「共絵図」では、竹舎の北にある部屋に助授という言葉が使われていますが、「文久慶応頃ノ図」では句読師(くとうし)が使われています。この助授・句読師は素読の先生のことで、「芸藩学問所記事一片」によると初め助教と呼んでいましたが、天明3年(1783年)から助授に改め、寛政5年(1793年)に句読師と改めたそうです。

「共絵図」に描かれているのは「創設当時の図」よりも後、「文久慶応頃ノ図」よりも前の間取りでしょうか。皆さんも是非、絵図の比較を楽しんでみてください。

こちらから関連事項をご覧いただけます [PDF:433KB]
こちらから関連年表をご覧いただけます [PDF:510KB]

  1. 関連本

(1) 展示した本

  • 『広島市史 第2巻』 復刻版 広島市/編 名著出版 1972年
  • 『人づくり風土記 34』 加藤 秀俊/〔ほか〕編 農山漁村文化協会 1991年
  • 『十竹先生物語』 改訂 修道学園史研究会/編 修道中学校・修道高等学校 2012年
  • 『中国地域の藩と人』 中国地方総合研究センター/編 中国地方総合研究センター 2014年
  • 『芸藩輯要』 復刻版 林 保登/編 芸備風土研究会 1970年
  • 『広島藩の学問と文化』 頼山陽史跡資料館/〔編〕 頼山陽史跡資料館 2019年
  • 『修道学園史』 修道学園/編 修道学園 1978年
  • 『旧重谷家土蔵(伝広島城土蔵)復原工事報告書』 修道学園/編 修道学園 2019年

(2) 参考にした本

  • 『元凱十著』 小鷹狩 元凱/著 弘洲雨屋 1930年
  • 『広島県史 通史編 4』 広島県/編 広島県 1984年
  • 『新修広島市史 第4巻』 広島市/編 広島市役所 1958年
  • 『広島県大百科事典 下巻』 中国新聞社広島県大百科事典刊行委員会事務局/編 中国新聞社 1982年
  • 『近世藩校に於ける学統学派の研究 下』 笠井 助治/著 吉川弘文館 1970年
  • 『近世藩校の総合的研究』 笠井 助治
主催

広島市立中央図書館

問い合わせ先

広島市立中央図書館
〒730-0011
広島市中区基町3番1号
TEL 082-222-5542
FAX 082-222-5545