浅野氏入城400年記念事業 平成30年度歴史講座「江戸時代の広島~浅野家と広島藩~」後期 第3回「浅野家・広島藩の能楽」を平成31年1月19日(土)に開催しました。
その概要をご紹介します。
第3回「浅野家・広島藩の能楽」
講師:神戸女子大学文学部 教授 樹下 文隆さん
江戸時代、能楽は幕府の式楽(しきがく・儀式に用いられる芸能)となり、広島藩も能楽を手厚く保護していました。今回は浅野家・広島藩の能楽について、古文書資料を読み解きながら、お話をされました。
能とは舞を伴う歌劇で、通常猿楽能(さるがくのう)を指す。猿楽能は、南北朝時代から室町時代初期にかけて発達し、江戸時代中期にほぼ様式が完成した。その特徴は、① 能舞台という能専用の舞台で演じること、② シテ(仕手、為手)と呼ばれる主演者を中心に演じること、③ 仮面を使用し、舞を中心に演じること、④ 能舞台以外で素人が能の詞章を謡うための台本、謡本が普及し、謡曲(ようきょく)と呼ばれていること、⑤ 大鼓と小鼓と笛、またはそれに太鼓を加えた四囃子による伴奏がなされるものであること、などである。
秀吉は熱狂的な能の愛好者で、能役者を積極的に保護したが、徳川家康もまた、能を保護した。
2代将軍秀忠も能を愛し、喜多(きた)流の樹立を許し、特に偏愛した。第3代将軍家光の時代には、大和猿楽(観世(かんぜ)・宝生(ほうしょう)・金春(こんぱる)・金剛(こんごう))の四座に、新たに認められた喜多(きた)流と合わせた四座一流(よざいちりゅう)が徳川幕府の式学と定められた。
【参考文献】
【関連本】