中央図書館の特別コレクション「浅野文庫」の所蔵資料を紹介します。
今回紹介する資料は、浅野家上屋敷が所在した霞ヶ関を描いた浮世絵10点をまとめた「東都名所霞ヶ関名所」です。
令和3年2月16日(火)~3月30日(火)予定
中央図書館 2階 サテライト(北側)
なお、「東都名所霞ヶ関名所」はデジタルアーカイブ「広島市立図書館貴重資料アーカイブ」で、画像を公開しています。
拡大して見ることで、彫りの細かさや、摺りの技法、版木の木目などをじっくり観察することができます。この機会に、ぜひアクセスしてみてください。
霞ヶ関坂(かすみがせきざか)
「東都名所霞ヶ関名所」に描かれているのは、東京都千代田区霞が関にある霞ヶ関坂で、現在は人事院と外務省の間にある。
江戸時代、このあたりは大身の大名の上屋敷(かみやしき)が建ち並ぶ地域で、坂の上から望む江戸湾の景色が江戸名所に数えられていた。
坂は西から東へ下っており、坂の下から見て右側に広島藩浅野家の上屋敷、左側に福岡藩黒田家の上屋敷があった。
浮世絵のなかで、浅野家上屋敷の表御門が朱塗りで描かれているものがある。これは将軍の息女が輿入れしたことを示す御住居門(おすまいもん)と呼ばれるもので、天保4年(1833年)11月に、11代将軍家斉(いえなり)の24女末姫(すえひめ)が9代藩主斉粛(なりたか)に輿入れしたため構えられた。
歌川広重が霞ヶ関坂を題材にして描いた浮世絵は約17種あるといわれ、「東都名所霞ヶ関名所」には8種が収められている。
・(参考)〔江戸切絵図〕外桜田永田町絵図(国立国会図書館デジタルコレクションより)嘉永2年(1849年)~文久2年(1862年)刊
ここで、広重が描いた浮世絵2点から霞が関の様子を確認してみよう。
(番号は「広島市立図書館貴重資料アーカイブ」内の識別番号)
歌川広重/画 33×48cm(台紙を含む) よし町川岸山本板 1枚
天保14年(1843年)~弘化4年(1847年)
山本屋平吉が、天保10年(1839年)~弘化4年(1847年)にかけて出版した浮世絵揃物全12枚のうちの1枚。配色のすっきりした佳作。全12枚は当初、12か月を意図したものと思われる。
7「江戸名所 霞か関」
歌川広重/画 33×48cm(台紙を含む) 藤慶板 1枚
弘化4年(1847年)~嘉永5年(1852年)
藤岡屋慶次郎が、天保10年(1839年)~嘉永5年(1852年)にかけて出版した浮世絵揃物全18枚のうちの1枚。広重晩年期の作品である。
4「名所江戸百景 霞か世紀」
歌川広重/画 48×33cm(台紙を含む) 〔下谷新黒魚栄板〕 1枚
安政4年(1857年)1月
魚屋栄吉が出版した、広重最大規模の揃物全119枚(2代広重作品と替内題作品を含む)のうちの1枚。人物の様子や、空に舞う凧から、新年の霞ヶ関坂を描いていることが分かる。
坂の中央に描かれているのは、獅子舞や曲芸などで巡業し、正月には厄除けと祝言を述べた太神楽(だいかぐら)の一行。その左手で太神楽の一行に目をやっているのは、万歳(まんざい)である。裃(かみしも)姿で武家屋敷をめぐり、祝言を述べて舞った。その左手には寿司売がいる。
太神楽の右手には、江戸城へ年始の挨拶にいった帰りであろう武士の一行が坂を上ってくるのが見える。その右手前には坂の方へ歩いていく親子連れの姿があり、子供は、羽子板を手にしている。親子の右には、扇箱買い(おうぎばこがい)がいる。扇箱買いは、年始に祝儀として扇を贈答する習わしを利用した商いである。
歌川国芳/画 33×48cm(台紙を含む) 両国かかや板 1枚
天保2年(1831年)~天保3年(1832年)頃
加賀屋吉右衛門が出版した、浮世絵揃物10枚のうちの1枚。国芳の風景画揃物作品中、最も代表的なシリーズである。
坂の頂上から空を見上げる構図で、日差しの照り付ける中、霞が関の坂を行く人々を描く。坂の両側の建物と道が見えなくなることで、坂の傾斜を表現している。周囲には竹幹の模様枠が設けられている。
広島市立中央図書館
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